いし

FUMIKO ISHIDAサポートチーム/リーダー

友達たちと加計呂麻島でシュノーケリング

父のルーツ奄美の加計呂麻島。行ったことがない。興味もなかった。
ある時、SNSで流れてきた加計呂麻島の風景。
次の日友達のMちゃんが「友達が加計呂麻島に毎年ダイビングに行っててな。一緒に行こうって言われてるねん」

”え、これ偶然なん?めっちゃ加計呂麻島出てくるやん。”

加計呂麻島が気になりだした。
”めっちゃ綺麗やん。行ってみたいな”

離島行ったことないしな。何から調べたらいいんやろ。
わからんことあったら、加計呂麻島に慣れてるMちゃんの友達に助けてもらおう!
っていうか、MちゃんとMちゃんの友達と一緒に行きたいな。
じゃあ、Mちゃんの友達と仲良くなりたいな。相談してみよ!

5年後の加計呂麻島楽しみ!絶対行く。

かめ やま

MAKI KAMEYAMAディレクター

憧れを、行動で叶える1年

スタイルのいい人を見るたび、
「あんな脚になりたい」
「あんなふうにスラっとなりたい」
物心ついた頃から、ずっと抱いてきた憧れがある。

「え!もう身長伸びないん?」
「なんで筋肉の脚なん」
「お母さんが背低いからやん!!」

年齢を重ねるにつれて、「外見よりも中身」「中身が伴っていないと意味がない」
そんな言葉を、口にするようになった。

それでも―――
やっぱり、かっこよくありたい。

2025年、53歳。
未来構想に本気で向き合い、40年後も健やかに生きるために、習慣と食生活を見直し始めた。

そして2026。その延長線上にある、
挑戦の年。心と身体、どちらも大切にしながら、「なりたい自分」を形にする。

くろ とも

TOMOYA KURODAマネージャー

息子と一緒に20年を振り返る

小さい頃、手紙が苦手だった。
書くのも、もらうのも恥ずかしくて、初めてもらったラブレターには、照れ隠しで怒ってしまったほど。
冷やかされるのも、注目されるのも嫌いで、想いを言葉にすることから、ずっと逃げていた。

それでもようやく、気づいた。
想いを届けることも、受け取ることも、こんなにもあたたかいのだと。

だから今、息子が二十歳になる日に渡すため、毎年一通、手紙を書き続けている。
1年分の記録と想いを重ねながら、8年後、二人でその手紙を開く時間を思い描く。
どんな話ができるのか——それを考えるだけで、胸が少し、やさしくなる。

こみ どり こう

KOJI KOMIDORIマネージャー

株式会社Coミーツ設立

17歳のとき、バイクで事故を起こしてから明るく振る舞うも、将来は不安でしかなかった。
考え方は「何がしたい!」ではなく「これやったらできそうかも…」と。
考えることから逃げようとしてきたこともたくさんあった。
限られた枠の中で、限られたことを選択し生きてきた。

ただ、こんな思いをしながらも、今まで一生懸命に生きてきた。
人生なんとかなったという感覚ではなく、
「そうや、自分で何とかしてきたんや」
「俺、ようやってきたわぁ」とつくづく思う。

必死なことは変わらない。
これからは「何がしたい!」を掲げて生きたい。
それを具現化するために、今年、自分のために会社をつくり、
ここを起点に30年後に向かって進む。

さい とう

KUMIKO SAITOUプロデューサー

音楽と再出発

中学で、吹奏楽部に入部。
楽譜が読めない。
置いていかれたくない。
耳で音を覚える。
悔しい。
恥ずかしい。

それでも、
母が音楽が好き。
笑顔にしたい。
その一心で、
音大に行くまで必死にやった。
学生時代の人生を、すべて捧げた。

先生の理不尽さに腹がたち、辞めた。
怒りの勢いで、もう音楽はやらないと決めた。

ああ、今は後悔している。
音楽で世界の人とつながりたかった。

クラリネットに、もう一度息を入れる。
私の演奏で、笑顔の人を増やす。

とう

AKI SATOサポートチーム リーダー

20歳になった我が子と旅をする

小さい頃から旅に憧れを抱いていた。
『兼高かおる世界の旅』を
毎週日曜日の朝、テレビで見るのが大好きだった。

祖母は海外旅行に行っては、素敵なお土産をプレゼントしてくれた。
今でも[旅]は大切な時間で、私を創る要素の一つ。

友だちと旅先ではしゃぐのが楽しかった時代には想像もしていなかった。

成長した我が子と大切な時間を過ごすため旅をする。

こんな幸せが訪れる10年後の為に、
今日を笑顔で。

たき ありさ

ARISA TAKIコンサルタント

私たちは本望を生きる

16歳のとき、寂しいスイッチをOFFにした。
17年ぶりにONにしたら、心の奥底にある愛情深さに気づいた。
「“みんな”って、こんなにあったかいんや~。」

そして10年後、TM,C空母化構想は現実に。
世界中どこにいても、みんながそれぞれの場所から助け合い、うんと力を発揮している。
どれだけ久しぶりに会っても、昨日まで一緒だったみたいに着飾らず、たわいない話から真剣な話まで、自然と話しあえる。

みんなで2026年を振り返り、私はポツリとつぶやく。
「寂しいスイッチって、やっぱり大事やなあ。」

不変のあたたかさを持って、繋がりを大切にする。
私は、そんな関係性をつくる。

たに ぐち ゆう ひこ

YUHIKO TANIGUCHIフォトグラファー/アートディレクター

写真集をつくり出版記念パーティーを開く

富士フイルムとの「写心プロジェクト」。
みんなの「写心」を集めてつくった
写真集の出版記念パーティー。

会場には、これまで一緒に関わってきてくれた人たちがいる。
それぞれが思い思いに過ごしていて、
気づけば、その輪の中に僕がいる。
それが、ただうれしい。

大事な人が去る。
「どこ行ったん?」
「また引っ越すんか、、、」
輪から外れる。
「なんで入れてくれへんの?」
「、、、もういい。」

途切れたくない。

だから今、写真集をみんなでつくっている。
今日ここで会えなかった人とも、
時や場所を越えて。

一緒に在り続けられる輪を、
これからもつくっていきたい。

西にし おか のぞみ

NOZOMI NISHIOKAデザイナー

井戸端会議の基地を日本の様々な地域に創る

田舎暮らしが嫌だった。アイドルのライブも行けない。流行りのグルメもない。

憧れの大阪に暮らしていて気付いた。
「私、寂しいわ」「田舎も好きや」

幼い頃、近所のおじちゃんおばちゃんといつもの時間と場所で井戸端会議。
『あの飛行機どこ行きゆうが?』
『これ食べてみ!』
『星がようでちゅうき明日は晴れるねえ』
『〜♪♪♪〜(チャルメラの音)』
『今日は卵が安かったねえ!』

両親が共働き、年の離れたお兄ちゃん達は学校が長いし、放課後も友達といる。
井戸端会議は私の寂しいを安心に変えてくれていた“なくてはならない”ものだ。

あのメンバーを今集める事はできない。
今の私が、地域の人が集う井戸端会議の基地を作る。日本の様々な地域で。

地域の人々の“なくてはならない”物や事を語り合い、残し続けるために活動する会社を創る。

西にし むら つよし

TSUYOSHI NISHIMURA会長/MY MICHI代表

上士幌でマイミチプロジェクトを本格始動する

子どもの頃から、人の期待や評価を気にして生きてきた。
本当はどうしたいのかより、「気に入られたい」「正しそう」「嫌われなさそう」を選び続けた結果、気づけば「自分の奥底の願い」がわからなくなっていた。

そんな自分が探し続けていたのが「自己理解メソッド」だった。
人は、環境や役割、肩書きの前に、まず「自分で自分をわかりたい」と願っている。そこが腹落ちすると、無理をせず、自然と前に進める。
それは自分だけでなく、多くの人が求めているものだと気づいた。

5年後、上士幌でマイミチプロジェクトを本格始動する。
人口5000人足らずのこの町に、国内外から自己理解を求めて人が集まり、上士幌の人たちと一緒に、自分の奥にある「願い」と向き合う。それぞれが「これが自分の道だ」と気づき、動き出していく。

妄想だった構想を、今は仲間とともに現実にしている。

西にし やま あつ

ATSUKO NISHIYAMA代表取締役 社長

仲間があつまる森の家

小さい時から家に満足してない。
大きな家住みたい。
部屋がたくさん欲しい。
一軒家がうらやましい。
庭が欲しい。犬が飼いたい
オシャレなインテリアにしたい。
好きなものに囲まれたい。

お母さんはいつも台所で忙しい。
お父さんちょっとは自分で動きーや
召使いじゃないねんで!
お母さんいつも自分は後回し。

みんなで一緒に話しようよ。
ゆっくり食べようよ。

私は、みんなで料理を一緒につくって
それぞれが好きにキッチンを使う。
そんなアイランドキッチンにする。

そして小さい時から
家には観葉植物がいっぱい。
お母さんの笑い声と植物たちがあると落ち着く。
大きな窓から木々が見える家に住む。

まつ ばら

CHIEKO MATSUBARAコンサルタント

いろんな人と美味しい、楽しい時間を過ごす

小さい頃、
学校でイヤなことがあっても
お母さんのご飯を食べるとホッとした。

イヤなこと、ツラいことがあった時でも
美味しい料理やホッとする場で
安らぎを提供できる人になる。

楽しく一緒に料理するキッチンも作る。

「美味しいね!」と
言い合いながら食べる。

そして、私と「一緒に食べたい!」

顔を思い浮かべてもらえる
そんな人気者になる。

みや した だい

DAIJI MIYASHITAマネージャー

一生モノに囲まれて暮らす

毎年、衣替えのたびに考える。「この服、いつ買ったのかなぁ」
欲しいものが見つかると取り置きをしてもらい、「一生使おう!」と心に決めてバイトで貯めたお金を握り締めて手に入れた学生時代。

今では「これでいいかぁ」となんとなく買い物し、そろそろ飽きてきたなぁと破棄する。
〜ファストファッションの時代だから仕方ない〜
昨年の秋、納戸のラインアップに不満足だったことに気がついた。

何年も使えるモノ、子どもに引き継ぎたいモノ。
一生モノに囲まれて暮らしたい。

今すぐ買えるモノは少ないけれど、GUCCIのビットモカシンやMONT BLANCの万年筆、有次の包丁、明珍の風鈴。諦めていたモノが、あちこちから舞い降りてきた。
5年後には、毎年一品。散々迷って買い物し、大切に使いたい。

もと のり ひと

NORIHITO MOTOBEアートディレクター

もっと欲張り、もっと好かれる

「欲しいな」けど自分には難しいな
恥ずかしいし、やめとこう

「やりたい」けど自分には難しいな
あの人にはなれないわ
自分はこれぐらいやし
別にいらんし、やりたくないし
好きな仕事できてるだけでマシやろ
そんなに欲張ったらあかんって
不器用なんやから
一つのことを一生懸命にやろうと
言い聞かせてきた20〜30代。
でも、出来なかったことが
出来るようになっている
欲しいものも手に入れてきた
一生懸命やってきた。

1つや2つだけじゃ
全然物足りない!

これからもやりたいことも
欲しいものもいっぱいある
諦めたくない
自分はこんなもんちゃう!
死ぬまで、欲張って欲張って
生きていく

よこ

YUKA YOKOTAサポートチーム

不登校の子に向けて想いを伝える

娘が不登校になるまでは、不登校の子に対して無意識に上から目線だった。
「なぜ学校に行かないのか」と問い、
学校に行かないのはその子が弱いからだと決めつけていた。

娘が不登校になり、不登校になる子には一人ひとり異なる理由があることを知った。
当事者になって初めて、見えていなかった現実に気付いた。

不登校になり、苦しみながら生きている子はたくさんいる。

その苦しみを、子ども一人に背負わせない。

不登校の子が安心して学校とつながれる環境をつくる。

不登校に対して、責めるのではなく、
社会全体が優しいまなざしで見守る社会をつくる。

伴走力を身につけて、現場である学校にメソッドを伝えにいく。

わし ひと

HITOSHI WASHIMI取締役

複合型拠点を開業する

幼少期から「みんなと一緒にいたい」という想いを大切にしてきた。
その原点は今も変わらず、人とのつながりを軸に行動し、仲間を想い支え合う姿勢となっている。

本施設は、その想いをカタチにし、人が自然と集い、学び、出会い、次の一歩へ進める場を目指す複合型拠点として開業する。
スペース貸出やPOP-UP SHOPを通じ、さまざまな人が集い、つながる環境を整え、多様な働き方・生き方を後押しする。

1Fは地域に開かれた交流空間、2Fは事業運営拠点。
ここは単なる仕事や作業の場ではなく、対話や挑戦が生まれ、互いに支え、高め合う関係性が育つ場所。

5年後には、日常的に人が集い、たくさんの情報が集まり、自然と仕事や活動が生まれる地域のハブとして定着し、持続的に人とまちの未来を育てていく。